絨毯の知識

悠久の大地でうまれたシルクロードの手織り絨毯

世界遺産も言い得る手織絨毯との暮らしは、その背景に拡がる歴史と文化との対話によってより芳醇なものとなります。人類の知と美の集大成として受け継がれた手織絨毯の魅力を、歴史と地勢に沿って綴ってみました。

長い歴史に彩られたシルクロードの手織り絨毯…
シルクロード手織り絨毯の歴史

最古の絨毯

絨毯は、はるか紀元前から存在し、遊牧民地帯の生活の中から徐々に今日のような形態に発達してきたものと思われますが、その起源については諸説があって定かではありません。これまで知られている最古の例は、南シベリアのアルタイ山中のパジリク古墳から発見された2m四方の絨毯で、前5世紀頃の作と推定されています。

絨毯の最盛期

16世紀から17世紀にかけてのサファヴィ一朝ペルシアの時代は、伝統的なペルシア文化の復興が図られた時代で、様々な分野の様々な芸術がその最盛期を迎えました。
絨毯も例外ではなく、各地で盛んに製作きれ、今日、世界の博物館、美術館に展示されている名品といわれる絨毯は、ほとんどこの時代のものだといわれています。
とくに、シャー・アッパース帝(在位1587-1629年)の治世には、数多くの絨毯工房が各地で新設され、絨毯芸術は、その頂点に達し、精妙典雅な絨毯が数多く製作されたと伝えられています。

●奇跡的発見―謎を呼ぶ最古の絨毯
パジリク絨毯
B.C.5世紀頃 200×183㎝
エルミタージュ博物館(サンクトペテルブルグ)

1949年、南シベリア、アルタイ山中にある遊牧民マッサゲタイの王墓と考えられるパジリク古墳から、奇跡的な発見がなされました。それは、約2m四方のトルコ結びで織られた絨毯で、たまたま氷に閉ざされていたため腐食をまぬがれ、ほぼ全容を私たちに伝えてくれるものでした。これが、現存する最古の絨毯といわれるパジリク絨毯です。当初、この絨毯のデザインが古代ペルシア帝国の装飾に類似していることから、ペルシアで織られた絨毯というのが大勢の解釈でしたが、反論も頻出しました。しかも、パジリク古墳の西方にあるバシャダル古墳からは、このパジリク絨毯よりさらに130年遡るという絨毯の断片が、それも、より高度な技術で織られた、ペルシア結びの絨毯が発見され、一体誰が絨毯を織りはじめたのか、また、このパジリク絨毯を織ったのは誰なのか、論議が発展するにつれ、ますますその謎を深めています。

日本と絨毯

我が国に伝来した絨毯に関する最も古い文献は魏志倭人伝で、魏の明帝が耶馬吉国の女王卑弥呼に朝貢の答礼として、絨毯と思われる敷物を贈ったことが記されています。
また遺唐使によってもたらされた工芸品の中には花氈(かせん)と呼ばれる美しいフェルトがふくまれ、今も正倉院宝物として残されています。
絨毯が本格的に入って来たのは、17世紀以降で、富や財を誇った豪商たちに、異国趣味豊かな文物として、好んで買い求められたといわれます。
これらの絨毯は古都、京の夏を彩る祇園祭の山鉾の掛装にも用いられています。
また、豊臣秀吉が所用したと伝えられる陣羽織は、ペルシアの工房で織られた絹の綴れ織り(キリム)を仕立て直したものです。

鳥獣文綴織陣羽織
16世紀 ペルシア H99.4×59.4
臨済宗高台寺(京都)

豊臣秀吉の菩提寺である高台寺に伝わる太閤陣羽織で、ペルシア製のキリムと呼ばれる綴織でつくられたものです。おそらく秀吉に献上品として贈られたものを陣羽織に仕立て直したものと思われます。

正倉院宝物 縹地大唐花文花氈

シルクロード手織り絨毯の代表的な産地

東と西の人と文化が行き交った歴史の大道シルクロード縁辺は、カーペット・ベルトと呼ばれる絨毯づくりの伝統をもつ地域が帯状に広がっています。シルクロード沿道で織られている絨毯は、じつに多様で、それぞれの民族が感じとられます。
これらの絨毯の代表的な産地と作られる絨毯の特徴をご紹介いたします。