ペルシア絨毯の有名産地
イスファハーン Esfahan
サフアヴィ朝の古都として知られるイスファハ-ンは、美を追求する芸術の街てす。セイラフィヤーンをはじめ、伝統ある工房も多く、格調高いペルンア絨毯からモダンな近代の作品まで、しっかりした技術に裏付けられたベルシア絨毯が過去、そして現在と数多くつくられています。
エマーム広場の王のモスク
世界遺産の街イスファハーン
街全体が美しい劇場か美術館のよう・・・と称えられたイスファハーン(エスファハーン)。その中心部工マーム広場一帯は、ユネスコの世界遺産にも登録されています。このサファヴィー朝ペルシアの都は1598年に英主シャー・アッパース1世によって建設が始まりました。かつて宮廷用の絨毯工房も王宮の一角にあったと伝えられています。
そして1722年アフガーンの侵略に遭い手酷いダメージを被るまで、「世界の半分」と形容されるほど殷賑を極めました。
チェヘル・ソトゥーン(四十柱)宮殿
クム Qom
Qomイランきってのシルク絨毯の産地です。絹の特質を活かした華麗な絨毯がその特徴です。新興産地のため伝統デザインというものがないかわり、デザイン開発が盛んで、斬新なデザインの絨毯も多く、新進気鋭の工房が数多く活躍する産地でもあります。
イラン第2の聖地クム
クム(ゴム)はマシュハドに次ぐイラン第2の聖地です。かつてはゾロアスター教の聖地で、第8代ヱマームであるレザーの妹ファーテメが祀られて以来イスラームの聖地となりました。サファヴィー朝には聖廟も建立され、歴代の王もこの地に多く葬られ、聖職者や神学生が居住します。クムの絨毯づくりは1930年代に始まったといわれ、当初はカンャーンの技術を導入しウールの絨毯が、後にシルクの絨毯が中心となりました。
タブリーズ Tabriz
Tabrizタブリーズは、近代のペルシア絨毯復興の中心と立った町です。ヨーロッパが主な市場であったため、デザインも西欧好みのものが多く、落ち着いた色調の格調あるペルシア絨毯が中心です。
また、絵画調の絨毯は、タブリーズが最も得意とするジャンルです。
サファヴィ-朝初期の都-タブリーズ
コーカサス(カフカース)に近いイラン北西部に位置する街タブリーズは、古くからアジアとヨーロッパを結ぶ東西交流の要衝の地でした。16世紀初頭シャー・エスマーイール1世がこの地でサファヴィー朝を興し、続くシャー・タフマースプ1世の時代にかけ、タブリーズには絨毯をはじめとする華麗な宮廷文化が花聞きました。また、タブリーズは、19世紀後半のペルンア絨毯復興期に重要な役割を果たした街で、ヨーロッパ世界への窓口として栄えました。
地震でタイルが欠落した15世紀ティムール時代のブルー・モスク
ナイン Nain
Nain洋間イスファハーンに近い、小さなオアシス都市、ナインは、かってフェルトの産地として知られていました。この街で絨毯がつくられるようになったのは、20世紀の初頭のことです。当初は、イスファハーンの影響を受けたため、そのデザインは、古典的なものが多くつくられていたといわれています。
ナインの絨毯の特色は、そのやわらかい配色にあり、濃紺、ベージュ、クリーム等、比較的使われる色はは限られ、全体に落ち着いた色調を醸し出しています。日本の家屋ともよくマッチします。また、その緻密な織りには定評があり、他の産地と比べて品質が均等なため、ヨーロッパにおいても高価な絨毯というイメージが浸透しています。
カシャーン Kashan
Kashanテヘランから南に250㎞、イラン高原の乾燥地帯に位置するカシャーンは、工芸の街として有名です。絨毯はもとより、陶器、タイル、ビロード、ダマスク織りなどの産地として、広くその名を知られています。この地で絨毯が盛んに製作されるようになったのは、ペルシア絨毯の黄金期、サファヴィー朝ペルシアの時代といわれ、数多くの傑作がつくられたと伝えられています。
その織り技術は高く評価され、他の地では、「カシャーンから来た人」といって誉めたたえたと言われています。
王が愛した街―力シャーン
「砂漠の真珠(モルヴァーリーデ・キャヴィ-ル)という異称をもつ街カシャーンは、13世紀、ペルンア陶器や彩釉タイルの産地として名を馳せました。染織工芸も盛んでサファヴィ一朝の初期から王宮工房があり、数々の名品絨毯が生み出された職人気質の衝でもあります。シャー・アッパース1世はこの地をこよなく愛し、フィーンの庭園を造るなどさまざまな手を加え、自らの永眠の地に定めたと云えられています。
カシャーン郊外にあるフィーンの庭園
ケルマーン Kerman
Kerman高原の都市ケルマーンは不毛の地で、楽園への希求ゆえか絨毯全面に細かい花や樹木が充填された、マルチブルー・カラーやパステル・カラーの絨毯が多くつくられています。アンティーク家具にもマッチしますし、モダンな洋風の家屋に敷くのも一興です。
星降る高原都市―ケルマーン
イラノ南東部に位置するケルマーンは、古代ペルシアでカルマニアと呼ばれた地で、古くからインドへのルートとして開けた砂漠につながる高原都市です。絨毯づくりの歴史も長く16世紀頃の名品も数多く伝えられています。ペルシアの中央政権から遠く離れ、街は幾度も災厄に遭遇しました。19世紀初頭の戦乱では住民は北のラーヴァル村へと避難し、良質の絨毯はこの村でつくられるようになったといわれます。
ハマダーン Hamadan
西ペルシアの商業都市ハマダーンは、19~20世紀の絨毯産業復興期に欧米の大きな需要を支えてきた街です。ハマダーンの周辺部はもとよりサールークやマラーイェルなどからの西ペルシアの絨毯集積地としても大きな役割を果たしてきました。
メディア王国の都ハマダーン
ハマダーンは、神話の時代、偉大なる王ジャムシードにより創建されたという伝読をもち、紀元前7世紀、メティア王国の都工クパタナとして、またアケメネス朝ペルンアの夏の都として栄えた歴史ある街です。16世紀この地方のテルジャズィーン産の絨毯がオスマン帝国に貢物として贈られた記録があり、古くからの絨毯づくりの伝統を有するとともに、19世紀から20世紀にかけては欧米向けに大量のペルシア絨毯が生産されました。
ブー・アリー・スィーナー廊
マシュハド Mashhad
Mashhad聖地マシュハドは、19世紀から20世紀にかけて盛んに絨毯産業の育成が図られた街です。カチニールを使った赤や落ち着いたベージュなど、つくられる絨毯の色調やデザインはさまざまで、近隣の産地からも数多くの絨毯が集まります。
聖なる街-マシュハド
イラン北東部、日出ずる地ホラーサーン地方的の中心地マシュハドは、イラン第2の人口をもっ都市で、正確にはマシュハデ・モガッダス、すなわち聖なる殉教の地という意味で、第8代エマーム・レザーを祀るシーア派モスリムの国際的な巡礼地です。またマシュハドは、絨毯産地であると同時に、古くから数多くのぺルシア絨毯が奉納されてきた地であり、東ぺルシア一帯の産地から絨毯が集まる集積地でもあります。